地球クラブに参加する保護者の記録です
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前回のキャンプには参加できずにすみません。
下の娘はまだまだ体調が悪い状態が続いています。
今日のカブトムシの幼虫彫りは、運動会で行かれません。ユウトも残念がっています。
さてさて、毎号届くマイペンライ楽しんで読んでいます。特に、アジャンからの一言は、興味深く読んでいます。
今回は、読んでキャンプに参加できなかったことが非常に残念になりました。
2日目の大人の会-都会の保護者の話。
私も信じられません。
コジャレたレストランでの週1でのランチ - どうやったらその時間があるのか・・・。
テストの点数を問い合わせる電話 - 気になるのは理解できるが、プライバシーの侵害。非常識そのものです。
と、はじめはそう思っていたのですが、よ~く考えてみたら私も自信がなくなりました。
たまたま、田舎に住んでいて、周囲にそういった人がいないから、そうならないだけで、
私も都会の中にいて、都会のママに囲まれていたらきっと流されて、同じことになってしまうんではないだろうか?と思うからです。
そして、田舎に住んでいてよかったなぁ~と思いました。
アジャンの一言に、親世代の多くは「社会力不足」とありました。親世代とは言いませんが、会社に入ってくる新入社員を見ていると、年々、低下しているように思います。
アジャンは”社会力不足”と一言で表現しているのですが、以下のようなことではないでしょうか?自分の周りにそういう人が増えていると思いませんか?
1. 言いたいことがあっても発言できない
または、自分の言い分だけを主張する
→ 基本的なコミュニケーション能力の低下
2. 言いたいことが伝えられない (聞き手の立場で話ができない)
→ 基本的なコミュニケーション能力の低下
→ 国語力の低下
3. 簡単に”出来ません”と言う
→ 何かをやり通すという意思完遂力が低い
→ 想像力、発想力が低い
4. 失敗すると言い訳する
→ 素直に”すみません”と言えない
→ 反省できない
彼らをリンゴの実の話に照らし合わせてみる。学力というリンゴの実が1つ大きくても、その他の実が小さい状態。または、細いい枝にたまたま大きな実を実らせてしまったということになります。
リンゴの木そのものが大きければ、翌年は大きな実を実らせるかもしれない。でも、枝が細ければポキっと折れてしまうかもしれない。
実際に社会へ出ると、その差は3年目くらいからはっきりと現れる。
1年、2年目には当然、ボロクソに怒られる。
元の木がしっかりしていれば、それからでも他の分野でも大きな実をつけ、1人前として活躍できる。
でも枝が細ければ・・・見放されたり、心の病になったり・・・・そももそ、”ボロクソに怒られる”ことに耐えられない。
アジャンの一言に「根をしっかり育てる事を考える」とあったが、まさしくこのことなんだなぁ~と感心しながら読みました。
そんな中で、私(我が家)にはひとつの後悔があります。それは、”見守る”が時間が足りなかった事です。
家にお友達が遊びに来たときのことです。お友達がユウトのおもちゃを使って遊ぼうとしました。
すると、ユウトはすぐに手から取り上げて「違う違う!こうやるんだよ。ここはコウ」 と使い方を教えていました。お友達は自分の手から急におもちゃを取り上げられて、唖然としていました。
「教えてあげなくても、いいんだよ。何々君、自分でやってみたいんだから」 とは言ったものの。
「違う違う!こうやるんだよ。貸して。」という言葉は、実際、私や主人がユウトに発している言葉そのものなんです。
瞬間に、あぁ、これは私達の接し方の結果なんだ。”子は親の鏡”状態なんだ。と気が付きました。
”親が子供にお節介をした”結果、ユウトが”お友達にお節介をする子”になってしまったのです。
はじめは、おもちゃで手をはさんだら痛いだろう、間違えて壊したらかわいそう から始まった言葉だったと思うのですが、このお節介が子供の”やってみる”という能力を低下させる原因のひとつになるのでは・・・?と心配しています。
今からでも遅くないと信じて「違うよ」とか「ダメダメ」という言葉を減らしたいと思います。

下の娘はまだまだ体調が悪い状態が続いています。
今日のカブトムシの幼虫彫りは、運動会で行かれません。ユウトも残念がっています。
さてさて、毎号届くマイペンライ楽しんで読んでいます。特に、アジャンからの一言は、興味深く読んでいます。
今回は、読んでキャンプに参加できなかったことが非常に残念になりました。
2日目の大人の会-都会の保護者の話。
私も信じられません。
コジャレたレストランでの週1でのランチ - どうやったらその時間があるのか・・・。
テストの点数を問い合わせる電話 - 気になるのは理解できるが、プライバシーの侵害。非常識そのものです。
と、はじめはそう思っていたのですが、よ~く考えてみたら私も自信がなくなりました。
たまたま、田舎に住んでいて、周囲にそういった人がいないから、そうならないだけで、
私も都会の中にいて、都会のママに囲まれていたらきっと流されて、同じことになってしまうんではないだろうか?と思うからです。
そして、田舎に住んでいてよかったなぁ~と思いました。
アジャンの一言に、親世代の多くは「社会力不足」とありました。親世代とは言いませんが、会社に入ってくる新入社員を見ていると、年々、低下しているように思います。
アジャンは”社会力不足”と一言で表現しているのですが、以下のようなことではないでしょうか?自分の周りにそういう人が増えていると思いませんか?
1. 言いたいことがあっても発言できない
または、自分の言い分だけを主張する
→ 基本的なコミュニケーション能力の低下
2. 言いたいことが伝えられない (聞き手の立場で話ができない)
→ 基本的なコミュニケーション能力の低下
→ 国語力の低下
3. 簡単に”出来ません”と言う
→ 何かをやり通すという意思完遂力が低い
→ 想像力、発想力が低い
4. 失敗すると言い訳する
→ 素直に”すみません”と言えない
→ 反省できない
彼らをリンゴの実の話に照らし合わせてみる。学力というリンゴの実が1つ大きくても、その他の実が小さい状態。または、細いい枝にたまたま大きな実を実らせてしまったということになります。
リンゴの木そのものが大きければ、翌年は大きな実を実らせるかもしれない。でも、枝が細ければポキっと折れてしまうかもしれない。
実際に社会へ出ると、その差は3年目くらいからはっきりと現れる。
1年、2年目には当然、ボロクソに怒られる。
元の木がしっかりしていれば、それからでも他の分野でも大きな実をつけ、1人前として活躍できる。
でも枝が細ければ・・・見放されたり、心の病になったり・・・・そももそ、”ボロクソに怒られる”ことに耐えられない。
アジャンの一言に「根をしっかり育てる事を考える」とあったが、まさしくこのことなんだなぁ~と感心しながら読みました。
そんな中で、私(我が家)にはひとつの後悔があります。それは、”見守る”が時間が足りなかった事です。
家にお友達が遊びに来たときのことです。お友達がユウトのおもちゃを使って遊ぼうとしました。
すると、ユウトはすぐに手から取り上げて「違う違う!こうやるんだよ。ここはコウ」 と使い方を教えていました。お友達は自分の手から急におもちゃを取り上げられて、唖然としていました。
「教えてあげなくても、いいんだよ。何々君、自分でやってみたいんだから」 とは言ったものの。
「違う違う!こうやるんだよ。貸して。」という言葉は、実際、私や主人がユウトに発している言葉そのものなんです。
瞬間に、あぁ、これは私達の接し方の結果なんだ。”子は親の鏡”状態なんだ。と気が付きました。
”親が子供にお節介をした”結果、ユウトが”お友達にお節介をする子”になってしまったのです。
はじめは、おもちゃで手をはさんだら痛いだろう、間違えて壊したらかわいそう から始まった言葉だったと思うのですが、このお節介が子供の”やってみる”という能力を低下させる原因のひとつになるのでは・・・?と心配しています。
今からでも遅くないと信じて「違うよ」とか「ダメダメ」という言葉を減らしたいと思います。

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無題
ハナママの「社会力不足」についての話ですが、すべてが身に覚えのあることばかり、4つすべてがまさに私自身のことだと強く感じています。
「失敗すると言い訳する」→まさに先ほどアジャンから注意を受けました・・・「でも・・・」を繰り返し、言い訳と分かっていながら言い訳で自分を守ろうとしてしまう自分。
何度も何度も同じことを繰り返し、周りの人に迷惑をかけ、結局は自分のことしか考えていない自分。
「もう、まやっぺはいいよ。」誰からそう言われてもおかしくありません。何度も何度も言われても改善できないことにやってしまってから気づくんです。
これも、毎回「私って駄目だな」と思うだけで「じゃあ、どうしよう」という反省をいかしきれていないことが原因かもしれませn。
「失敗すると言い訳する」→まさに先ほどアジャンから注意を受けました・・・「でも・・・」を繰り返し、言い訳と分かっていながら言い訳で自分を守ろうとしてしまう自分。
何度も何度も同じことを繰り返し、周りの人に迷惑をかけ、結局は自分のことしか考えていない自分。
「もう、まやっぺはいいよ。」誰からそう言われてもおかしくありません。何度も何度も言われても改善できないことにやってしまってから気づくんです。
これも、毎回「私って駄目だな」と思うだけで「じゃあ、どうしよう」という反省をいかしきれていないことが原因かもしれませn。

まやっぺは、「すみません」が言えるだけマシです。
まやっぺ達はまだまだワカゾーなので怒られるのは当たり前。
怒られることは素直に受け止めて、それをどのように改善するか?でまやっぺの真価が問われるのだと思います。
「でも・・・」は言ってもいいけれど、それは結局、自分のことも守れているわけではないのだということに気付いて欲しいです。その言葉は、マイナになっているだけです。
+相手に不快感を与える
+自分の成長を止めている
怒っている相手の一言は本当は十言くらい言いたいのを縮小して一言になっているだけなのです。1を言われたら、10を悟れる人間になろう!をモットーにしてみてください。
まやっぺ達はまだまだワカゾーなので怒られるのは当たり前。
怒られることは素直に受け止めて、それをどのように改善するか?でまやっぺの真価が問われるのだと思います。
「でも・・・」は言ってもいいけれど、それは結局、自分のことも守れているわけではないのだということに気付いて欲しいです。その言葉は、マイナになっているだけです。
+相手に不快感を与える
+自分の成長を止めている
怒っている相手の一言は本当は十言くらい言いたいのを縮小して一言になっているだけなのです。1を言われたら、10を悟れる人間になろう!をモットーにしてみてください。