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地球クラブに参加する保護者の記録です
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2007/10/20 (Sat)

このブログはココログへお引越ししました。

http://mamsroom.cocolog-nifty.com/blog/

これからもご購読よろしくお願いします

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2007/10/14 (Sun)
私は今、発展途上国の国の人と仕事をしている。彼らは、ついこの前まではその日食べる物についても困っていたという人達。計画性はまるでない。もちろん、日本人のように「高品質」の物は求めない。安ければ、安いほど良い。

まったく文化の異なる彼らと仕事をするのは本当に大変だ。
その国内のトップクラス (日本で言えば、東大、京大レベル)の人と仕事をしているのだが、日本人の考える一般常識は無く、まったく子供を相手にしているようだ。

今、私は本当にへこたれている。

地球クラブの目的の1つに「国際感覚うんぬん、かんぬん」というのが合ったような・・・
まぁ、それはどうでもいいとして・・・

私の英語レベルはきわめて低い。
多分 中学2年生レベル。それでも、何とかなっている。だから苦労している。とも言えるが、今は翻訳ソフトも使えるので、基礎的な文法が分かれば、時間をかければなんとか自分の言いたいことは伝わる。

問題は文化の違い。
・どんなに怒っていても笑っている ことが美徳
  → 私にはヘラヘラしているようにしか思えない
・計画性が無い
  → 飲み会の会場まで、車を用意していたが、集合してみたら乗り切れない人数がいる
      前もって言ってくれ・・・
・貸した物が返ってこない
  → 借りたものは自分もモノ、貸したものは相手のモノ。知らなかった・・・

ここまで違うと、国際教育って語学じゃなくって、文化の教育じゃないの?と思う。

私はクリスチャンでは無いが、一度だけ聖書を読んだことがある。その後、外国の映画を見ると、「あぁ、このセリフ、そいうことかぁ~。聖書を読んでないと分からないよ」なんていうちょっとした発見があったことを覚えている。

英語は国際的に通用する語学教育として必要。それに変わりはないけれど、もっといろんな国の文化や国民性を教えてくれるカリキュラムがあってもよかったんじゃないの?と思う。

この1年は新しいことの発見だらけだったけど、かなりへこたれている(疲れきった)自分が居るのも事実。あぁこの苦労が、明日へ(未来へ)繋がればいいのだけれど・・・・・
2007/10/07 (Sun)
前回のキャンプには参加できずにすみません。
下の娘はまだまだ体調が悪い状態が続いています。
今日のカブトムシの幼虫彫りは、運動会で行かれません。ユウトも残念がっています。

さてさて、毎号届くマイペンライ楽しんで読んでいます。特に、アジャンからの一言は、興味深く読んでいます。

今回は、読んでキャンプに参加できなかったことが非常に残念になりました。

2日目の大人の会-都会の保護者の話。
私も信じられません。
コジャレたレストランでの週1でのランチ - どうやったらその時間があるのか・・・。
テストの点数を問い合わせる電話 - 気になるのは理解できるが、プライバシーの侵害。非常識そのものです。

と、はじめはそう思っていたのですが、よ~く考えてみたら私も自信がなくなりました。
たまたま、田舎に住んでいて、周囲にそういった人がいないから、そうならないだけで、
私も都会の中にいて、都会のママに囲まれていたらきっと流されて、同じことになってしまうんではないだろうか?と思うからです。
そして、田舎に住んでいてよかったなぁ~と思いました。

アジャンの一言に、親世代の多くは「社会力不足」とありました。親世代とは言いませんが、会社に入ってくる新入社員を見ていると、年々、低下しているように思います。

アジャンは”社会力不足”と一言で表現しているのですが、以下のようなことではないでしょうか?自分の周りにそういう人が増えていると思いませんか?

1. 言いたいことがあっても発言できない 
     または、自分の言い分だけを主張する
      → 基本的なコミュニケーション能力の低下
2. 言いたいことが伝えられない (聞き手の立場で話ができない)
      → 基本的なコミュニケーション能力の低下
      → 国語力の低下
3. 簡単に”出来ません”と言う
      → 何かをやり通すという意思完遂力が低い
      → 想像力、発想力が低い
4. 失敗すると言い訳する
      → 素直に”すみません”と言えない
      → 反省できない

彼らをリンゴの実の話に照らし合わせてみる。学力というリンゴの実が1つ大きくても、その他の実が小さい状態。または、細いい枝にたまたま大きな実を実らせてしまったということになります。

リンゴの木そのものが大きければ、翌年は大きな実を実らせるかもしれない。でも、枝が細ければポキっと折れてしまうかもしれない。

実際に社会へ出ると、その差は3年目くらいからはっきりと現れる。
1年、2年目には当然、ボロクソに怒られる。
元の木がしっかりしていれば、それからでも他の分野でも大きな実をつけ、1人前として活躍できる。
でも枝が細ければ・・・見放されたり、心の病になったり・・・・そももそ、”ボロクソに怒られる”ことに耐えられない。

アジャンの一言に「根をしっかり育てる事を考える」とあったが、まさしくこのことなんだなぁ~と感心しながら読みました。

そんな中で、私(我が家)にはひとつの後悔があります。それは、”見守る”が時間が足りなかった事です。

家にお友達が遊びに来たときのことです。お友達がユウトのおもちゃを使って遊ぼうとしました。
すると、ユウトはすぐに手から取り上げて「違う違う!こうやるんだよ。ここはコウ」 と使い方を教えていました。お友達は自分の手から急におもちゃを取り上げられて、唖然としていました。

教えてあげなくても、いいんだよ。何々君、自分でやってみたいんだから」 とは言ったものの。
違う違う!こうやるんだよ。貸して。」という言葉は、実際、私や主人がユウトに発している言葉そのものなんです。
瞬間に、あぁ、これは私達の接し方の結果なんだ。”子は親の鏡”状態なんだ。と気が付きました。
親が子供にお節介をした”結果、ユウトが”お友達にお節介をする子”になってしまったのです。

はじめは、おもちゃで手をはさんだら痛いだろう、間違えて壊したらかわいそう から始まった言葉だったと思うのですが、このお節介が子供の”やってみる”という能力を低下させる原因のひとつになるのでは・・・?と心配しています。

今からでも遅くないと信じて「違うよ」とか「ダメダメ」という言葉を減らしたいと思います。
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2007/09/21 (Fri)

今日、協力会社の1人の男性の送別会をした。

2年と数ヶ月、勤務してくれていた。

これから1年間、ワーキングホリデーで海外へ行くと言う。

彼は何を求めて海外へ行くのか?

海外で何を得て戻ってくるのか?

いずれにしても、社会人になってからのトライアルは、学生の時の留学とは色々な意味で覚悟が違う。

私は彼のチャレンジ精神に敬意を払いたい。

今、私は自分のやりたいと思った事に安易に取り掛かることは出来ないし、私の仕事は家族を守ること以上に重要なことは無い。とも思う。

将来、もし、自分の息子達が何か大きなチャレンジをしようとするとき、それを応援してあげられる親になりたいと思う。リスクばかり考えて、子供の足をひっぱるようなことはしたくない。

でも、本当にできるだろうか?
今の小さな子供たちを、自分のそばから離すことなど考えられない・・・

「青年は目を離せ、心を離すな」 すばらしい表現ですね。

これを実践されている、彼の両親、ご家族は本当にすばらしいと思う。
実際、そのご両親に育てられた彼本人も打たれ強い、よい青年だったと思う。

私も彼の両親のようになれるべく、人の親としての経験と勉強を積み重ねなくてはいけない。。。。と思わされる1日でした。

2007/09/15 (Sat)
今日は運動会でした。
息子は・・・・朝の6時に目覚めて、寝ている私を起こし
「お母さん、お母さん」 
「今日は・・・運動会の日だよぉ~。あ~ドキドキするぅ~。」
と、言うではありませんか。
なんとも子供らしい感情に胸が痛くなるほどの愛おしさを感じました。

今年のかけっこでは、練習で1着を取れるという確信を持っている息子。親としては「転びませんように」と願うばかりでした。
今日の最後の私のアドバイスは「他のお友達のことを気にしないで、後ろを振り向かないで前を向いて走れ!」でした。

結果は1着。息子と事前に約束していたとおりに最終のストーレートコースの辺で待ち構えていて、大きな声で「ユウトぉ~、がんばれぇ~」と応援した。
すると・・・・ズーっと私の方を見ている・・・・
「ユウト、前、前、前見て走って!」と慌てて叫ぶ という展開・・・・
それでも1着。あぁ~よかった。と胸を撫で下ろすことができた。
 もし、転んでいたら、「お母さんが声かけたから・涙・涙・涙・」と散々に言われるところでした。

2番目に息子がお楽しみにしていたリレー。第一走者のユウト。
かけっこと同様に、途中で応援している私に視線をやりながらもなんとか1着で私の前を通過。しかし、その後がかけっこの時とちがった。リレーの時はかけっこよりも少し長いコースを走る。最終コーナーで大きくコースを外れたユウト。原因は、よそ見。「アホ息子」と真相を知るまではちょっと呆れていた。

なぜ、ユウトが最終コーナーで大きくコースを外れたのか?お友達のママが教えてくれた。
それは・・・バカでかい声で「ユウト、がんばれ!」と応援してくれた人がいたから。 その人は・・・地球クラブの代表者。 応援ありがとうございました。でも、危なかったよぉ~。もうちょっとで順位が狂うところだったよ。 もうちょっとで、涙を流して悔しがるという結果になるところでした。

私もそうでしたが、子供が真剣になっているところへ、大人が口出しすることはタブーですね。それはもうちょっと、集中力がある年齢になってからじゃないと・・・と、今日、学びました。

家へ帰ってから息子と、このことを話すと、困っちゃうなぁという雰囲気で「みんなオレのこと応援するんだよぉ」と、まるでヒーロー気取りでした。
そりゃあんた、リレーなんだから同じチームの人はみんなユウトのこと応援するよ。

そういえば、以前、地球クラブの中で保育園の運動会は必要か?という話題になったことがあります。私達、親子は練習期間も含めて楽しんでいる方なので、大いに必要です。と考えています。ただ、子供に厳しい練習が必要か?というとそれはNOだと思います。

子供だって勝負事で勝つ事は好き、負けることは嫌い。上手に出来れば嬉しい、失敗すれば悲しい。という感情をしっかりもっています。

うちの息子の場合は、運動会はそういった感情を経験するいい場になっていると感じています。

練習が始まる前、息子は「かけっこは1番にならない。2番になる」と言っていました。去年、どうしても1番になれなかったから、期待しないで欲しい。という意味だと受け止めました。
同時に、過剰な期待はプレッシャーなのだな?とそのとき気が付きました。でも、はじめから勝負を捨てるっていうのもどうなの?と、いうことでひたすら励ましました。また、勝負はやってみないと分からない。だから、練習がんばってね。ということを説明しました。

他の発表のことだって、練習はうまくいっても本番はうまくいかないこともある。失敗すれば、もっと練習しなくちゃダメなんだ。と心に刻む。ごく自然な人間形成の過程だと思います。

運動会や発表会は、成功しても、失敗しても、貴重な体験。その貴重な体験を大人たちが、どうフォローするか?どう評価してあげるか?が人間としての基礎教育のひとつなのかな?と思います。

なぁ~んて、えらそうな事を書きましたが、で、ここまで書いてから、じゃぁ自分の今日の対応はどうだったのでしょう?と振り返ってみる。
①「ユウト、よく頑張ったね。元気にワーって出てこられてよかったよ」
②「1番になれてよかったね」
と頭を何度も何度も撫でていました。

うん・うん・まぁ、対応としては間違ってないな。
①上手か下手かではなく、子供らしさ(ユウトらしさ)の部分を誉めた
②「速いことが良い」という評価ではなく、子供の感情に寄り添う形のコメント
と自己採点し、今日のところはOK.と自己満足するのでした。

もし、私の考え方、間違ってる!って思う場合はコメントください。今後の子育ての参考にさせていただきます。
2007/08/30 (Thu)
8/25(土) 晴天。
大根の種まきをしました。

息子:「大根の種まきなんてつまんなぁ~い。行かない。」
私 :「働かない人は、地球クラブで遊んじゃいけないんだよ。」
父 :「じゃぁ、大根売らないんだね。」

なんて会話を前日にしたのですが、そんな発言は嘘のように、息子は楽しんで大根の種まきを手伝っていました。

さて、娘の方も活発に動き出すようになりました。1年前はほとんどベビーカーと、私の背中の上だったんですけど・・・

今回の娘の遊びは”橋渡り”

さすがにハラハラする場面も多く手を差し伸べると、
娘:「じぶんで!」 (一人で出来るからあっち行ってて)
と怒られ、駄々をこねると逆に危ないので、あきらめて観察していました。

結果的に、地球クラブ内で伝え聞かれるルールになっていました。
・「自分の責任で遊ぶ」
・「危険なこともできるだけ見守る」

でも、集中して細い橋を渡る間は、慎重にちょっとずつ歩みを進めているので、あまり危ない感じはしませんでした。 橋の上にいる間に、誰かが「危ない」なんて声をかけた方がよっぽど危なかったりします。

hashi1_.JPG娘:「お母さん、そこで見ててよ」(と言っているようだ)
私:「はぁい、気をつけてきてください」と反対側から手を振る

hashi2_.JPG
私:心配しながら見守る

hashi3_.JPG
私:ここまでくれば大丈夫。とちょっと安心。

hashi4_.JPG
私:「こっちで遊ぼうねぇ~」

hashi5_.JPG
私:「えぇ~、またそっちへ行っちゃうのぉ~」

hashi6_.JPGパパ:「あぶねぇなぁ~」




←落ちたら結構な事件になる高さだと思いますよ。

2007/08/13 (Mon)

8/11,12 夏キャンプ

今回のキャンプでは、猛暑の中の参加なので娘(1歳10ヶ月)を連れて行くことが大変かな?と思いましたが、
家が村内というアクセスの良さを利用し、昼寝時などは家へ帰る など往復をしたため、ムリなく参加できました。
おかげで、私とパパは割り振られた仕事のほとんどを、他の大人の方にお任せした状態になってしまい申し訳なかったと思います。

futari.jpg去年は娘が一番、小さかったのですが、今年はチビっ子の参加が多くて驚きました。同時にパパさんの育児参加も多くなったなぁ~と思いました。

娘の様子を見ていたら、女の子2人でお砂遊びをしていました。
ほのぼのと安心して見ていることができるのは、女の子だからでしょうか?

娘は今回、初めて五右衛門風呂に入りました。furo1.jpg先にお兄ちゃんが入っているのを興味深そうに見ていました。「入る?」と聞くとコクンと頭を下げたので、ズボンとパンツを脱がせて入れてあげました。すると・・・写真の通りに泣き出してしまいました。パパが出してあげて、濡れた服を着替えをさせようと脱がせたら、今度はまた入りたいと訴えだしました。

furo2.jpg
今度は、ニコニコ顔でした。
結局、五右衛門風呂が嫌だったわけではなく、服を着せられたまま風呂に入るのがいやだったようです。

直射日光の下で裸にする事に抵抗があったので、上の服を着せたままにしてしまったのですが、そんなのは大人の理屈。やっぱり子供には通用しないですね。

そんな押し付けに気付くといつも子供に対して「ゴメン」という気分になります。

実は、このお風呂の水、何人も入った後だったから、かなり汚れてたんですよ。2歳にならない娘を入れるのは、「何かの病気にならないかな?」と少し不安でしたが、何事もなくピンピンしています。今、思えばそんな考えも大人の理屈でしょうね。だって、そんな、汚い水に息子は頭まで沈んでいるんですから・・・。

2007/07/25 (Wed)

7/22(日) 活動予定日ではあったが、マイペンライが届かず、やるのかどうか分からない状態。それでも、たくさんの人が参加していた。
それだけ、子供たちには待ちに待った日っていうことかな?

畑では予定していたジャガイモを掘ることが出来なかった。野生の動物にほとんど食べられてしまっていた。去年の収穫がとても楽しかった(=おいしかった)だけに残念で仕方ない。

息子は・・・

いつもどおり、泥池にペットボトルで作ったザリガニの仕掛けをしていた。
朝、家を出るときに「池に入るときは水着」と固く約束した。にも関わらず、やっぱりズボンのまま入っていた。
「汚れたぁ~きがえるぅ~」といつもなら訴えて来るのだが、私の顔を見ると「自分で着替える」と一言。さすがに、朝の約束を覚えていたらしい。
少しは学んだのかな?
と・・・思ったのだが、後で聞いたら、お父さんに頼んで着替えを出してもらったらしい。
う~ん・・・どうしたら遊ぶ前に水着になってくれるのか・・・????やっぱり周りのお友達と違う格好じゃ嫌なのかな?

お昼を食べたら、娘が眠くなってしまったのでお父さんと妹は先に帰宅。

それからが本番。
「墨で絵を描く」 お友達がやっているのを見て興味を持って自分もやってみた。sumi.JPG
「宝物を見つける」 せみの抜け殻を4つ見つけた。宝物だからと言ってポケットに入れておいてボロボロにしてしまった。
semi.JPG
森の中で・・・ 木登りに挑戦した。こわがりの息子だがだんだん高い所まで行かれるようになってきた。
kinobori.JPG
森の中で・・・ ブランコ遊び。
楽しそうに見えますが「もう止めて~」と叫んでいます。


 


2007/07/08 (Sun)
今日は活動日。池遊びに行きたいと思っていたのですが、下の娘が熱を出してしまったために私と娘はお留守番になってしまいました。 (T_T)

お父さんと息子にお弁当を持たせ、 「いらないよ」というお父さんに無理やりバケツを持たせお見送り。

なぜバケツか?ザリガニを捕獲したら持ってくるため。

===
我が家にはザリガニの水槽がある、昨シーズン、一番多い時は12匹くらい入っていた。当然、共食いが始まる。冬に入ると6匹になっていた。

そのうち3匹が卵を抱え、冬の間に子ザリガニがわらわらと生まれた。親ザリガニは子ザリガニを産んでまもなく死んだ。

春になって、子ザリガニが1~3cmくらいに成長した。この時点で生き残った子ザリガニは4匹。
大・中・小の大人のザリガニとあわせて 7匹。
それが、今は1匹になってしまった。

弱肉強食で大きいザリガニが残る。というのが普通の考え方。でもこれが違った。
まず、大きいザリガニが死んだ。

死因は、「脱皮の失敗」。 脱皮の直後は体が柔らかく、身を守る事が出来ない。 このタイミングではどんな大きなザリガニも、鎧を着た小さなザリガニに負けてしまう。だから、脱皮直後のザリガニは、ものすごく謙虚に何かにおびえながら行動している(ように見える)。だからこそ、脱皮はあわてず、早く、正確に終わらせる必要がある(と思われる)。

しかし、大きなザリガニはこの「脱皮」という行為そのものに失敗していた。1日たっても脱皮が終わっていない。ハサミに、脱皮前の殻が引っかかっている。「ハサミを引っ掛けるとは、なんて致命的な・・・」と思いつつ、さらに1日観察することにした。

結果、翌朝、体が食いちぎられていた。

一番大きなザリガニがいなくなって、2日後、ナンバー2のザリガニが水槽内で天下を執った。そして一匹になっていた。あっという間の出来事だった。

人間で言うと20代の勢いのある世代のザリガニが生き残ったのかな?と想像した。
家の中の小さな水槽で、大きな自然の掟を見る事ができた気がし、少し感動した。

子供の頃、私にとっての水槽は捕まえた”生物を飼うための器”にすぎなかった。大人になってから、自然を学ぶ道具であることに気付くことになるとは・・・
これも地球クラブに入会し、子供がどうしてもザリガニを飼う と言わなければ一生、気付かずにいたのだろう。まさに、”子供に育てられる親”である。
2007/06/24 (Sun)
6/23 久々の快晴に恵まれた、地球クラブ。いつもより、参加者がぐ~んと多かったみたい。息子と同じ保育園の子供の参加が今年2人増えて、5人になった。

今日のメインの遊びは池遊び。その前に、ちょっと畑で草むしり。息子を含めチビッコ達はちょっと働いただけで、どこかへ行ってしまった。

その後、私はママ仲間とちょっと外れて、野いちご摘み。赤く熟れた実はと~っても甘かった。

一通り、食べて、フィールドまで戻ってみると、グミの実と桑の実を皆で摘んでいた。あまぁ~い、桑のみの木には多くの人だかり。枝の下の方は子供、上の方は大人達が一粒も残すものか!という勢いで群がって、手を真っ黒にしていた。

「そこまでするか?」と思ったが、大鍋にいっぱいに摘んだ桑の実が、後でジャムになって登場!おいしかったねぇ~。山下ママ最高!

ママ達がジャムを作ってくれている頃、私は池にいました。池と言っても、地図の上では「塩之入ダム」と書かれた大きな池。その隅っこの浅いところで、子供と学生達が泳いでいました。見ていたら、すごーく楽しそう。
それなのに、息子は「オレはいい。寒い」と言って沢蟹を捕まえていました。つまらないヤツだなぁ~と思ったものの、無理強いしてもしょうがないので自由にさせておきました。
娘(1歳)は皆が入っているのを見て、自分からズボンを脱ぎだしました。でも、いざ池に入れてみようとしたら必死に抵抗。ちょっと怖かったみたい。

昔の人は池で泳ぐのが当たり前だったみたいだけど、私は池で泳いだ覚えは無い。ちょっと憧れちゃうくらい。
今度はこっそり、下に水着きてきちゃおうかなぁ~???
そうしたら、息子もいっしょに遊んでくれるかな?

P.S. 今回は自分で写真を撮るのを忘れてました。地球クラブHPで写真が公開されたら、こちらにも表示したいです。

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ILLUSTRATION BY nyao nyaoチャ箱♪  
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