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地球クラブに参加する保護者の記録です
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2024/05/05 (Sun)
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2007/10/14 (Sun)
私は今、発展途上国の国の人と仕事をしている。彼らは、ついこの前まではその日食べる物についても困っていたという人達。計画性はまるでない。もちろん、日本人のように「高品質」の物は求めない。安ければ、安いほど良い。

まったく文化の異なる彼らと仕事をするのは本当に大変だ。
その国内のトップクラス (日本で言えば、東大、京大レベル)の人と仕事をしているのだが、日本人の考える一般常識は無く、まったく子供を相手にしているようだ。

今、私は本当にへこたれている。

地球クラブの目的の1つに「国際感覚うんぬん、かんぬん」というのが合ったような・・・
まぁ、それはどうでもいいとして・・・

私の英語レベルはきわめて低い。
多分 中学2年生レベル。それでも、何とかなっている。だから苦労している。とも言えるが、今は翻訳ソフトも使えるので、基礎的な文法が分かれば、時間をかければなんとか自分の言いたいことは伝わる。

問題は文化の違い。
・どんなに怒っていても笑っている ことが美徳
  → 私にはヘラヘラしているようにしか思えない
・計画性が無い
  → 飲み会の会場まで、車を用意していたが、集合してみたら乗り切れない人数がいる
      前もって言ってくれ・・・
・貸した物が返ってこない
  → 借りたものは自分もモノ、貸したものは相手のモノ。知らなかった・・・

ここまで違うと、国際教育って語学じゃなくって、文化の教育じゃないの?と思う。

私はクリスチャンでは無いが、一度だけ聖書を読んだことがある。その後、外国の映画を見ると、「あぁ、このセリフ、そいうことかぁ~。聖書を読んでないと分からないよ」なんていうちょっとした発見があったことを覚えている。

英語は国際的に通用する語学教育として必要。それに変わりはないけれど、もっといろんな国の文化や国民性を教えてくれるカリキュラムがあってもよかったんじゃないの?と思う。

この1年は新しいことの発見だらけだったけど、かなりへこたれている(疲れきった)自分が居るのも事実。あぁこの苦労が、明日へ(未来へ)繋がればいいのだけれど・・・・・
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2007/10/07 (Sun)
前回のキャンプには参加できずにすみません。
下の娘はまだまだ体調が悪い状態が続いています。
今日のカブトムシの幼虫彫りは、運動会で行かれません。ユウトも残念がっています。

さてさて、毎号届くマイペンライ楽しんで読んでいます。特に、アジャンからの一言は、興味深く読んでいます。

今回は、読んでキャンプに参加できなかったことが非常に残念になりました。

2日目の大人の会-都会の保護者の話。
私も信じられません。
コジャレたレストランでの週1でのランチ - どうやったらその時間があるのか・・・。
テストの点数を問い合わせる電話 - 気になるのは理解できるが、プライバシーの侵害。非常識そのものです。

と、はじめはそう思っていたのですが、よ~く考えてみたら私も自信がなくなりました。
たまたま、田舎に住んでいて、周囲にそういった人がいないから、そうならないだけで、
私も都会の中にいて、都会のママに囲まれていたらきっと流されて、同じことになってしまうんではないだろうか?と思うからです。
そして、田舎に住んでいてよかったなぁ~と思いました。

アジャンの一言に、親世代の多くは「社会力不足」とありました。親世代とは言いませんが、会社に入ってくる新入社員を見ていると、年々、低下しているように思います。

アジャンは”社会力不足”と一言で表現しているのですが、以下のようなことではないでしょうか?自分の周りにそういう人が増えていると思いませんか?

1. 言いたいことがあっても発言できない 
     または、自分の言い分だけを主張する
      → 基本的なコミュニケーション能力の低下
2. 言いたいことが伝えられない (聞き手の立場で話ができない)
      → 基本的なコミュニケーション能力の低下
      → 国語力の低下
3. 簡単に”出来ません”と言う
      → 何かをやり通すという意思完遂力が低い
      → 想像力、発想力が低い
4. 失敗すると言い訳する
      → 素直に”すみません”と言えない
      → 反省できない

彼らをリンゴの実の話に照らし合わせてみる。学力というリンゴの実が1つ大きくても、その他の実が小さい状態。または、細いい枝にたまたま大きな実を実らせてしまったということになります。

リンゴの木そのものが大きければ、翌年は大きな実を実らせるかもしれない。でも、枝が細ければポキっと折れてしまうかもしれない。

実際に社会へ出ると、その差は3年目くらいからはっきりと現れる。
1年、2年目には当然、ボロクソに怒られる。
元の木がしっかりしていれば、それからでも他の分野でも大きな実をつけ、1人前として活躍できる。
でも枝が細ければ・・・見放されたり、心の病になったり・・・・そももそ、”ボロクソに怒られる”ことに耐えられない。

アジャンの一言に「根をしっかり育てる事を考える」とあったが、まさしくこのことなんだなぁ~と感心しながら読みました。

そんな中で、私(我が家)にはひとつの後悔があります。それは、”見守る”が時間が足りなかった事です。

家にお友達が遊びに来たときのことです。お友達がユウトのおもちゃを使って遊ぼうとしました。
すると、ユウトはすぐに手から取り上げて「違う違う!こうやるんだよ。ここはコウ」 と使い方を教えていました。お友達は自分の手から急におもちゃを取り上げられて、唖然としていました。

教えてあげなくても、いいんだよ。何々君、自分でやってみたいんだから」 とは言ったものの。
違う違う!こうやるんだよ。貸して。」という言葉は、実際、私や主人がユウトに発している言葉そのものなんです。
瞬間に、あぁ、これは私達の接し方の結果なんだ。”子は親の鏡”状態なんだ。と気が付きました。
親が子供にお節介をした”結果、ユウトが”お友達にお節介をする子”になってしまったのです。

はじめは、おもちゃで手をはさんだら痛いだろう、間違えて壊したらかわいそう から始まった言葉だったと思うのですが、このお節介が子供の”やってみる”という能力を低下させる原因のひとつになるのでは・・・?と心配しています。

今からでも遅くないと信じて「違うよ」とか「ダメダメ」という言葉を減らしたいと思います。
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2007/09/21 (Fri)

今日、協力会社の1人の男性の送別会をした。

2年と数ヶ月、勤務してくれていた。

これから1年間、ワーキングホリデーで海外へ行くと言う。

彼は何を求めて海外へ行くのか?

海外で何を得て戻ってくるのか?

いずれにしても、社会人になってからのトライアルは、学生の時の留学とは色々な意味で覚悟が違う。

私は彼のチャレンジ精神に敬意を払いたい。

今、私は自分のやりたいと思った事に安易に取り掛かることは出来ないし、私の仕事は家族を守ること以上に重要なことは無い。とも思う。

将来、もし、自分の息子達が何か大きなチャレンジをしようとするとき、それを応援してあげられる親になりたいと思う。リスクばかり考えて、子供の足をひっぱるようなことはしたくない。

でも、本当にできるだろうか?
今の小さな子供たちを、自分のそばから離すことなど考えられない・・・

「青年は目を離せ、心を離すな」 すばらしい表現ですね。

これを実践されている、彼の両親、ご家族は本当にすばらしいと思う。
実際、そのご両親に育てられた彼本人も打たれ強い、よい青年だったと思う。

私も彼の両親のようになれるべく、人の親としての経験と勉強を積み重ねなくてはいけない。。。。と思わされる1日でした。

2007/09/15 (Sat)
今日は運動会でした。
息子は・・・・朝の6時に目覚めて、寝ている私を起こし
「お母さん、お母さん」 
「今日は・・・運動会の日だよぉ~。あ~ドキドキするぅ~。」
と、言うではありませんか。
なんとも子供らしい感情に胸が痛くなるほどの愛おしさを感じました。

今年のかけっこでは、練習で1着を取れるという確信を持っている息子。親としては「転びませんように」と願うばかりでした。
今日の最後の私のアドバイスは「他のお友達のことを気にしないで、後ろを振り向かないで前を向いて走れ!」でした。

結果は1着。息子と事前に約束していたとおりに最終のストーレートコースの辺で待ち構えていて、大きな声で「ユウトぉ~、がんばれぇ~」と応援した。
すると・・・・ズーっと私の方を見ている・・・・
「ユウト、前、前、前見て走って!」と慌てて叫ぶ という展開・・・・
それでも1着。あぁ~よかった。と胸を撫で下ろすことができた。
 もし、転んでいたら、「お母さんが声かけたから・涙・涙・涙・」と散々に言われるところでした。

2番目に息子がお楽しみにしていたリレー。第一走者のユウト。
かけっこと同様に、途中で応援している私に視線をやりながらもなんとか1着で私の前を通過。しかし、その後がかけっこの時とちがった。リレーの時はかけっこよりも少し長いコースを走る。最終コーナーで大きくコースを外れたユウト。原因は、よそ見。「アホ息子」と真相を知るまではちょっと呆れていた。

なぜ、ユウトが最終コーナーで大きくコースを外れたのか?お友達のママが教えてくれた。
それは・・・バカでかい声で「ユウト、がんばれ!」と応援してくれた人がいたから。 その人は・・・地球クラブの代表者。 応援ありがとうございました。でも、危なかったよぉ~。もうちょっとで順位が狂うところだったよ。 もうちょっとで、涙を流して悔しがるという結果になるところでした。

私もそうでしたが、子供が真剣になっているところへ、大人が口出しすることはタブーですね。それはもうちょっと、集中力がある年齢になってからじゃないと・・・と、今日、学びました。

家へ帰ってから息子と、このことを話すと、困っちゃうなぁという雰囲気で「みんなオレのこと応援するんだよぉ」と、まるでヒーロー気取りでした。
そりゃあんた、リレーなんだから同じチームの人はみんなユウトのこと応援するよ。

そういえば、以前、地球クラブの中で保育園の運動会は必要か?という話題になったことがあります。私達、親子は練習期間も含めて楽しんでいる方なので、大いに必要です。と考えています。ただ、子供に厳しい練習が必要か?というとそれはNOだと思います。

子供だって勝負事で勝つ事は好き、負けることは嫌い。上手に出来れば嬉しい、失敗すれば悲しい。という感情をしっかりもっています。

うちの息子の場合は、運動会はそういった感情を経験するいい場になっていると感じています。

練習が始まる前、息子は「かけっこは1番にならない。2番になる」と言っていました。去年、どうしても1番になれなかったから、期待しないで欲しい。という意味だと受け止めました。
同時に、過剰な期待はプレッシャーなのだな?とそのとき気が付きました。でも、はじめから勝負を捨てるっていうのもどうなの?と、いうことでひたすら励ましました。また、勝負はやってみないと分からない。だから、練習がんばってね。ということを説明しました。

他の発表のことだって、練習はうまくいっても本番はうまくいかないこともある。失敗すれば、もっと練習しなくちゃダメなんだ。と心に刻む。ごく自然な人間形成の過程だと思います。

運動会や発表会は、成功しても、失敗しても、貴重な体験。その貴重な体験を大人たちが、どうフォローするか?どう評価してあげるか?が人間としての基礎教育のひとつなのかな?と思います。

なぁ~んて、えらそうな事を書きましたが、で、ここまで書いてから、じゃぁ自分の今日の対応はどうだったのでしょう?と振り返ってみる。
①「ユウト、よく頑張ったね。元気にワーって出てこられてよかったよ」
②「1番になれてよかったね」
と頭を何度も何度も撫でていました。

うん・うん・まぁ、対応としては間違ってないな。
①上手か下手かではなく、子供らしさ(ユウトらしさ)の部分を誉めた
②「速いことが良い」という評価ではなく、子供の感情に寄り添う形のコメント
と自己採点し、今日のところはOK.と自己満足するのでした。

もし、私の考え方、間違ってる!って思う場合はコメントください。今後の子育ての参考にさせていただきます。
2007/06/22 (Fri)
地球クラブへ参加していて、ホームページをちょこちょこ見る人向けに、頻繁に更新のある部分だけをまとめたサイトを作りました。
気に入ったらブックマークしてください。
http://mychikyu.web.fc2.com/
2007/06/03 (Sun)
青木村では、最近、立派な公園が出来た。(まだ完成ではない)
息子が通う保育園に隣接される形。思いっきり遊ぶには最高の場所だ。
(しかし、粘土の汚れは予想以上に手間だった・・・)
保育園の散歩や遊びを大きく取り入れる方針に私は大賛成!
でも、綺麗好きなご両親にとっては迷惑な事なのかもしれないが、我が家には”汚す用”の服が山積みされているし、古くなった真っ黒の靴もあるのでまったく問題なし!



さて、村では保小中(保育園、小学校、中学校)一貫教育が進められている。
先日、村の広報と一緒にその内容が記載された通信紙が送られてきた。私が、保小中一貫教育の内容に触れる数少ない機会だ。

この通信紙の中に、「先生が言えない愚かな親の共通点」が紹介されていた。
この中で分類される6つの「困った保護者」のうち、私は確実に「ガミガミ型」だと自覚している。

来年、息子は学校に上がる。特別、構える必要は無いのかもしれないが、やはり先生との関係には少し、気を使うと思う。

ビジネスの世界では、ひとつの問題があれば徹底的に議論する。ある意味、ケンカ気味の場合もある。でも、議論が終わった後は、仲良くお酒が飲める。そんな人間関係のある会社はいい議論ができて、伸びる。

でも、学校の先生とだったらどうだろう?子供を育てる仕事をもつ仲間として考えられれば最高だが、そんな信頼関係を作れるのだろうか?「先生が言えない~」と書かれていたが、やっぱり先生にも思っていることを言ってもらわなければ、本当の信頼関係はできないし、子供も良くならないだろと思う。でも色々な考えの親がいるのでそんなのも難しいのだろうか?などなど考えると、教育って難しい問題だなぁ~とつくづく思う。

自分の両親もそんな思いを抱えながら、私を小学校へ送り出していたのかなぁ~??? にほんブログ村 子育てブログへ ← 応援クリックお願いします。ポチっとね。

2007/05/09 (Wed)
息子(年長)にとっての、天敵が地球クラブにいる。
小学校3年生の男の子。
最初の出会いは1年前。それはケンカだった。 当然、息子が負ける。
息子は地球クラブが大好きだ。 自分の自由を奪うその男の子のことが嫌いだ。

ちょっと意地悪な年上の男の子。 かなり生意気な年下の息子。
微妙な年齢差の交流。 ちょっとうまくいきそうにない二人の関係。

でも・・・・
なぜか、いつも2人は近くにいる。
池遊びの時、ざりがに釣り、テントの中。 嫌なら別々の場所へ行けばいいのに・・・と大人は思う。

そんな息子が、キャンプから帰ってきて
「オレ、Tのこと好きになった。だって、やさしくなった。」 と言った。

放っておけば、子供たちはそれぞれ成長し、なんとかうまく関係を作ってくれるものだと実感。
次回、会ったときも同じようにやさしければいいね・・・と私は思う。

子供同士のケンカにあまり大人が介在するべきでは無いと考えている。でも、子供が助けを求めたときにはうまく手助けしてあげたいと思うが、そのビミョーな調節は私にはちょっと難しい。

だから、やっぱり、地球クラブの自然の中で、子供たちなりに思いやりや、協調性を育んでもらうのが一番いい方法だなぁ なんて思うのでした。

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2007/02/25 (Sun)
今日はまやっぺが家へやってきた。目的はホームページの作り方を聞くため。

息子は最初はまやっぺに最新のおもちゃを見せびらかしていたが、そのうちに静かになった。台所でなにやらやっているな?というのは分かっていたのだが、ほったらかしておいた。しばらくすると、スペシャルドリンクを持ってきた。

ニヤニヤして1つのグラスをまやっぺに・・・見た感じで、

私:「イチゴミルク作ったんだね

まやっぺ:「すごぉ~い。自分で作れるんだぁ。」

息子:「うん。あのねぇ、イチゴと牛乳と白酒

恐る恐る、まやっぺと1口ずつ味見をしてみる。おっ!以外にフツーに飲める。「白酒が嫌いでなければ大丈夫だね」なんて話をしていると、

息子:「あと、お茶(麦茶)とお砂糖
えぇ~、お茶ぁ~?オイオイ

次に出されたスペシャルドリンク。色が茶色い。(イチゴミルクコーヒーみたいな色)

私:「麦茶、多すぎじゃない?

息子:「しょうゆだよ

私:「えぇ~。しょうゆぅ~!!??

まやっぺ:「でもコレは一口のんで帰らなくちゃ」(やさしいですねぇ)

口をつけようとしたまやっぺは・・・・・!






















まやっぺ:「ハナママさん、コレはっ!ちょっとお願いします!

臭いを嗅いでみると、明らかにしょうゆ臭い。オエェ~ 

私:「これは飲めないよ。しょうゆは飲んだら死ぬよ。自分で飲んだ?

息子:「うん

そして、飲んでもらえなかったグラスに息子は黙ってさらに牛乳を加えていた。

そういう問題じゃないっつ~の!

これも成長の過程で仕方ないことなのでしょうか?まやっぺがいなかったら、私は笑っていられなかったよ。
2007/02/08 (Thu)
地球クラブのホームページがオープン!
とマイペンライに書かれていたので、内容を確認。

いくつかアドバイスをしていたので、どうなっていることか?
と思ったら、全然、できて無いじゃん。

トップページもまともに表示できとらん。

確かホームページビルダーで作っていたはず。ツールを使うと、簡単に作れちゃうけど、複数ファイルがある場合の理解ってやっぱり、初心者には難しいのね。

さて、どこから手をつけたらよいものか?とりあえず、トップページは表示できるようにしたいね。
ILLUSTRATION BY nyao nyaoチャ箱♪  
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